<第6日目: 8/2(水)> カルカッソンヌ ~ バイヨンヌ
さて、今日の予定を聞くと、いよいよフランスとスペインの国境近くへ。
バスク地方へ出発です。
フランスとスペインにまたがるバスク地方。
今日は、フランス側のバスク地方の中心都市、バイヨンヌ(Bayonne)へ。
アドゥール川とニーヴ川の合流点に築かれた古い街で、魚介類の他に、
チョコレートと生ハムが特産物。
情熱を表す赤や、自然を表す緑の窓枠や木枠を使った家々が
バスク地方の家屋の特徴です。
ピレネー山脈に並行して海沿いへ向かって走ると、
やがて川が見えてきて、その先にバイヨンヌが見えてきました。
今まで旅してきたプロヴァンス地方と、明らかに違う雰囲気です。
早速、街に入って駐車場を探します。
予約したプチホテルは、街中にあり、細い石畳の通りに面しているので、
車は入れません。
適当なところで駐車して、早速駐車券を取って・・・。
そう思ったのですが、券売機がフランス語(とバスク語?)対応で
使い方が分からず。
うーん・・・。
とりあえず、駐車場と駐車券の券売機の写真を撮って、
ホテルの人に使い方を聞くことにしました。
重いスーツケースを引き摺って、i-pad片手にホテルを探します。
ちょうど街のランドマークの「サント・マリー大聖堂」の近くのようです。
この頃になると、安全面はそれほど心配しなくなっていたので、
妻は、その点、安心してスーツケースを引き摺っていましたが、
ボコボコの石畳の上を歩いていると、
今度は、スーツケースの車輪が心配になってきました。
A型妻の心配は、途絶えることがありません・・・。
何とか、ホテル「LE PORT NEUF」に到着。
4F建てのかわいいホテルでした。
1Fのバーで受付をして、狭い階段を上がっていくと、部屋へ。
通りに面した窓が開放的で、木の温もりが何となくアジアンを彷彿とさせる
落ち着きのある部屋でした。
到着時に、ホテルのスタッフに、駐車場の券売機の使い方をきくと、
何とここ数日はちょうど祭りの期間で、その間の街中の駐車場は無料とのこと。
何だかとてもラッキーでした。
仮に使い方を説明されても、ちょっと分かりにくそうだったので、
無料でよかったと思いました。
少しゆっくりしてから、散歩がてら外へ出ます。
川沿いにかわいらしい家々が軒を連ねます。
ブラブラと歩いて「バスクとバイヨンヌの歴史博物館」へも行きました。
バスク地方の文化や民族、家屋、バスク民族舞踊などについての説明や、
衣類、生活用品などの展示などがあり、とても興味深かったです。
(夫記)バスク地方
バスク地方にはなぜか昔から格別な思い入れがあり、かねてよりずっと行ってみたいと思っていた土地でした。まあ、私の世代にはありがちですが、要するに司馬遼太郎の影響ですね。
独自の言語と文化を持ち、国家の一地方として組み込まれていてもなお独立独歩の気概を失わない。そんな民族としてのバスクに、なんとも言えないロマンを感じるのも、世代的なものなんでしょう。今となっては独立運動といえば、むしろバスクなどより、スペインならばカタルーニャのほうが余程ホットで過激です。
バスクには、フランス側のフレンチバスクとスペイン側のスペインバスクがあるほか、海沿いの海バスクと山沿いの山バスクという分け方もあります。バイヨンヌは海バスク。サンチャゴ巡礼路の起点と目されるサン・ジャン・ピエ・ド・ポーは山バスクです。
バスクの街に入ってまず気付くのは、家々の窓の木枠が赤や緑や青色に塗られていること。これはとても特徴的な光景で、ああ、バスクに来たんだなあと、この街並みを見ると思います。
それから、街のランドマークの「サント・マリー大聖堂」にも入場。
ステンドグラスがとても美しい教会でした。
夕食は、ホテルの横のレストラン「La Chistera」へ。
メニューには日本語表記もありました。
妻は、バスク名物の「ピペラード」を注文。
ドウガラシ(Piperra)が語源となった料理で、パプリカをトマトで煮て、
生ハムをのせて、卵でとじたラタトゥーユです。
夫は、「バスク風チキン」を注文。
肉が柔らかくて美味しかったです。
食後、すぐにホテルに戻れるのは魅力的。
今日は、ドライブメインの一日でしたが、思ったより疲れたようで、
ぐっすり眠れました。
まだ旅は前半戦。
でもフランス滞在は、終わりつつあります。
結局、フランス語に苦労しながらの旅だったので、
次回またフランスに来ることがあれば、もう少し、
フランス語を勉強したいと思った妻でした。
<第7日目: 8/3(木)> バイヨンヌ ~ サン・セバスティアン ~ サン・ジャン・ピエ・ド・ポール
少しだけ国境を越えて、スペイン側の海バスクの街である
「サン・セバスティアン」(San Sebastien)に立ち寄ります。
その後、また国境を越えてフランス側に戻り、今度は山バスクの街、
「サン・ジャン・ピエ・ド・ポール」(St-Jean-Pied-de-Port)へ。
フランス側とスペイン側、海側と山側、両方のバスクを巡ります。
今朝になって、「今日これからスペインに入る」ということをきいた妻、
テンション、上がってきました。
”翌日のスケジュールを知らない旅” 続行中の妻、
当日サプライズが、楽しいのです。
まあ、スペインに入るといっても、今日は国境を出入りして、
またフランス側の宿泊になりますが、
それでもスペイン語圏に行けるのはうれしい妻。
完全アウェーで意味も分からず、
注文をする気もなくしていたフランス語のメニュー。
やっと勝手知ったるホーム(?)のスペインで、好きな物を頼んで、
好きな物を食べれる!と喜びました。
妻は、今から18年前、アンダルシア地方のセビリアという街で、
6か月間、語学留学をしていたことがあり、その後も複数回に渡って、
仕事でスペインの北部も南部も訪れたことがあります。
とはいえ、その仕事を離れて早15年。
その間、スペイン旅行もしていないし、スペイン語を話す機会もなかったので、
正直、自分のスペイン語がどれほど通じるかの心配はありました。
でも、フランス語に対するアウェー感に疲れていた反動か、
大してしゃべれもしないスペイン語でも、物凄く親しみを感じる自分。
この15年間、スペインに対して、特別な感情を抱いたことはなかったので、
そんな自分の突然の心の変化に驚くばかりでした。
そんな感じで、ワクワクしながら、サン・セバスティアンへ向かいます。
途中のサービスエリアまで、少しの距離だけれど、妻、運転にチャレンジ!
実は、今回の旅の目的のひとつに「妻のドライブ体験」がありました。
ゴールド免許しか知らない妻。
・・・つまり、ペーパー過ぎて、ずっとゴールド。
そんな運転怪しい妻。
高速・・・130km出していいって言われても~、怖いじゃないかー。
周りのスピードに合わせようとすると、こちらの心臓がもちません。
ふと、走行車線をゆっくり走る(たぶん80kmくらいで)小型車発見。
妻はその小型車を「のんびりさん」と名付けて、
以後、その「のんびりさん」の後にぴったりくっついて運転することに決めました。
ほどなくして「のんびりさん」とのお別れもやってきて、
妻の疲れもたまってきたので、ドライブ体験はひとまず終了。
夫に交代しました。
運転している時は、命懸けで、手に汗握りましたが、
とりあえずフランスで運転できたのでよかったです。
またスペインでもちょこっと運転しよう・・・。
予定より少し遅れて、いよいよ国境越えて「サン・セバスティアン」へ。
国境越えの際も、道路脇にスペイン入国のような看板があったくらいで、
特別なことは何もなく、あっさり入国。
そのまま街へ向かいました。
街が見えてきて、青い海も広がっています。
ここサン・セバスティアンは、「ビスケー湾の真珠」と呼ばれる美しい街で、
高級避暑地としても知られています。
フランスから来た私としては、避暑地ってもっと北の寒いところでは・・・?
というイメージがありますが、よく考えたらここはスペイン。
スペインの中では完全北部ですから、猛暑の南部と比べたら確かに避暑地。
街を歩くと、大通りは車が溢れていてとても賑やか。
ヨーロッパらしい趣のある建物が並びます。
橋の上から、釣り糸を下げている地元の人たちもいて、
華やかだけれど同時にのどかな街・・・という気がします。
さて、お腹が空いたので、さっそくバルを探します。
スペインと言ったら、バルへ行かなければ・・・と意気込んで
店を物色しましたが・・・。
よく見ると、どこも小綺麗でお洒落な店ばかり。
カウンター前のウインドウには、ベーカリーのように、
オープンサンドを乗せたお皿が、所せましと並んでいます。
よく見ると、オープンサンドではなくて、
フランスパンのようなパンの1片の上に、
ハムやチーズ、オリーブなどが乗って、爪楊枝がささっています。
これがいわゆる「ピンチョス」。
こんな綺麗なお店じゃなくて、もっと紙ナフキンが床に散らかっていて、
オジサンがカウンター前を占領しているような、
そんな昔ながらのバルで食事がしたかった妻ですが、
しばらく街を歩いても、そんな古き良き、小汚い(?)バルは見つからず。
仕方がないので、綺麗で値段も分かりやすそうな店にあたりをつけて、
入っていきました。
カウンターを見ると、人の波。
お昼時なので混み合っています。
何とか人混みをかき分けて注文しようと、ピンチョスの前に行ってびっくり。
・・・高いです。
ピンチョス1個で、3ユーロ=420円くらい。
こんな小さいパンの1切れでこの値段なのか・・・。
フランスも相当物価が高く感じましたが、
スペインはさすがにもっと安いだろうと思っていました。
でも、ここの物価も十分高いです。
観光地だから? それとも私の頭の中が、15年前の物価基準だから?
気を取り直して、ここはスペイン語だからと張り切って注文!
でも実際は、モゴモゴ、モタモタしている間に、何となく流れで精算完了。
私の予定ではもう少しマシに注文できるはずだったのに、残念!
スペイン語、消化不良のまま、混みあった店を後にしました。
少し街を散策した後、今日の宿泊地、
フランス領「サン・ジャン・ピエ・ド・ポール」へ向かいます。
再び国境を跨いで、フランスへ戻りました。
そして、ほどなくして「サン・ジャン・ピエ・ド・ポール」に到着。
都会のサン・セバステイアンと違って、山バスクのこの街は、
静かで穏やかな山間の集落・・・という感じでした。
この街は、中世には「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」への巡礼路の
フランス側ルート出発点、と言われた街でした。
現在も世界各国から、多くの巡礼者がこの街を通過していきます。
私たちが宿泊するホテルは、巡礼者が行き交う石畳の通り沿いにあります。
この通りには、複数の宿泊地があって、通り過ぎる人々の中には、
リュックを背負って杖をつき、巡礼の象徴であるホタテ貝の飾りをつけた
巡礼者たちもいます。
宿泊したこじんまりとしたホテルも、巡礼者の宿泊を受け入れているようで、
2Fの大部屋には2段ベッドが複数あり、すでに何人もの巡礼者たちが到着して、
荷物をほどいていました。
私たちは、3Fの一部屋。
普通のツインルームです。
屋根裏のかわいい部屋という感じで、手作り感があって
素敵な部屋でした。
早速、街歩き。
石畳の通りには、金のホタテ貝が一定の間隔ごとに埋まっています。
貝の指し示す方向が、巡礼路の進行方向を表しています。
中世の昔から、多くの巡礼者たちがこの通りを歩いて、
何百kmの旅へ向かったのだと思うと、ちょっと感動しました。
自分たちはレンタカーで楽してますけど・・・。
(夫記)
サンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路は、同じ巡礼路の世界遺産ということで熊野と提携しているそうで、共通の巡礼手帳なども用意されているようです。
巡礼事務所に立ち寄ったので記念に巡礼手帳を発行して貰おうとしたのですが、私たちの格好がそれっぽくないせいか、交通手段を尋ねられ、正直に「車」と答えると、「徒歩か自転車の人にしかあげられないんだよ。」と断られてしまいました。
通りには、お土産屋さん、巡礼グッズを売る店、巡礼路の事務局もなどがあります。
巡礼に旅立つ人々がくぐった門の前で写真を撮り、
街歩きを楽しんだ後、夕食へ。
夕食には、観光客に有名な雰囲気のあるレストランを選んだのですが、
ここでもメニューを決めるのに苦労しました。
ウェイトレスさんが、フランス語しか通じず。
何とかメイン料理を食べ終わった後、
デザートを食べようと思い、再びメニューをもらおうとして、
「メニュー、シルブプレ」とか言ってみたけど通じず。
困った顔で苦笑いをされました。
後で調べたら、フランス語ではメニューは”定食”のこと。
それで変な顔してたのか。
・・・っていうか食後に定食、食べませんね、そりゃ・・・。
でも、食事は美味しかったし、最後のフランスの夜を満喫できました。
明日はいよいよ、フランスに別れを告げて、
本気でスペイン入国!
今日、あんまりスペイン語を話せなかったから、
明日からは頑張ってリベンジしようと思いました。
<第8日目: 8/4(金)> サン・ジャン・ピエ・ド・ポール ~ ロンセスバージェス ~ パンプローナ
珍しく朝6時頃、目が覚めました。
ベッド横の小窓から外を眺めると、まだ薄暗く、霧が立ち込めていました。
けれど、通りからは人の話し声と笑い声が・・・。
早くも、巡礼者たちが出発したのかもしれません。
そのまま起きればよいのですが、朝の弱い妻はまた寝てしまいました。
結局いつも通り、10時チェックアウトに合わせての出発です。
今日は、フランスに別れを告げて、いよいよピレネー山脈越え。
スペイン巡礼路を辿ります。
その前に、フランス最後のカフェタイム・・・。
サン・ジャン・ピエ・ド・ポールを出発すると、
そのまま国道を走り、どんどん山道へ。
林を抜けると青空が広がり、次第に標高が上がっていきます。
車に弱い妻は、少し酔って来ました。
だんだん口数が少なくなり、吐き気も・・・。
ちょっとマズいかもしれない・・・ってところで、
ピレネー山頂の「イバニェタ峠」に到着。
ひと息つくことにしました。
巡礼者のピレネー越えのふたつのルートの内、
ひとつのルートがこの「イバニェタ峠」を通過します。
よく見ると、「カミーノさん」(巡礼者さんたち)用に、
巡礼路の進行方向を示した黄色い矢印が・・・。
確かに、重いリュックを背負ったホタテマークのカミーノさんたち数名が、
もくもくと歩いて、前を通り過ぎて行きます。
私たちも一瞬だけ、カミーノさんたちの通る道を歩いてみました。
ピレネー山脈を歩いて越えるカミーノさんたちには、頭が下がります。
気分がよくなったところで、
またゆっくり車を走らせ、先に進みます。
地図を確認すると、ここはもうスペイン領でした。
少し走ると「ロンセスバージェス」(Roncesvalles)が見えてきました。
村の中心の大きな修道院は、古くから巡礼者の救護院だったそう。
現在は、巡礼者用の宿泊施設「アルベルゲ」としても使われているそう。
せっかくなので、修道院内の聖堂の見学をしました。
そろそろお腹が空いて来ましたが、
ここは修道院とその付属施設がメインの村なので、適度なレストランがなく、
そのまま国道を走り、サービスエリアで昼食を取ることにしました。
ほどなくして、サービスエリアを見つけたので入ります。
通りの表示やお店の看板が、スペイン語になったことに感動。
ちょっと「ホームに戻って来た感」が出てきて、
水を得た魚のように、自信が出て来た妻。
心もち、態度がデカくなって来ましたよ。
とりあえず無難な軽食が食べれそうな食堂を見つけて入ります。
カウンターにはベネロペ・クルスのような、これぞラテン美人のお姉さんが・・・。
低めの大きな声で、お客さんに話しかけます。
お客さんも負けじと大声で応戦していて、
いきなりデシベル、上がった世界に迷い込んで来ました。
ああ、これぞスペイン・・・。
老若男女、誰でも地声がデカいスペイン。
ヒソヒソ話すことを知らないスペイン。
おしゃべりが大好きなスペイン。
懐かしい・・・。
メニューを見ても、料理名が分かるのがうれしい妻。
早速、トルティージャ(スペイン風オムレツ)と、
大好きなサラダを注文しました。
この旅で何回目のサラダでしょうか・・・。
フランスでは、ある程度きちんとしたレストランで、
高めのサラダを注文してきたせいか、
いつも見た目も色とりどり、数種類の野菜が美しく盛られていました。
でも、ここはスペインのサービスエリア。
安いだけあって、そんなサラダは出てきません。
思った通りの「レタス+トマト+ツナ」オンリーのミックスサラダ。
ドレッシングもなくて、「勝手にオリーブとビネガー、かけてね」的な
セット一式も置かれます。
正直、日本の自宅でも簡単に作れるやつですが、でも、これが最高においしい。
留学中、やっぱりサラダばっかり食べていた妻は、
懐かしさが相まって、おいしさ倍増です。
ちょっとテンション高めな妻の横で、特にスペインに思い入れのない夫。
いつもと変わらないテンションで、ニコニコしながら、
トルティージャを食べていました。
すっかり元気が出てきてご機嫌になったところで、
いよいよ今日の宿泊地、パンプローナ(Pamplpna)へ向かいます。
「牛追い祭り」で有名な街。
毎年7月上旬は、多くの観光客でいっぱいになります。
街は多くの人々で賑わっていました。
まずは、18世紀に建てられたバロック様式の市庁舎を見学。
この市庁舎は街のシンボルであり、牛追い祭りの開会宣言は、
このバルコニーに立った市長が行います。
そして、ロマネスク様式とゴシック様式が融合した「カテドラル」の見学。
ナバーラ王カルロス3世と、その王妃の墓もあります。
少し早いですが、夕食のレストランを探します。
サン・セバスティアンで、いかにも・・・な、古き良きバルを探せなかったので、
ここで何とか見つけようとしました。
けれど残念ながら、思った通りの店は見つけられず、
お洒落なレストランばかりが目につきます。
諦めて、軽食とお酒がメインのダイニングへ。
妻は結局、ここでもサラダ。
夫は、コロッケと鶏肉のグリル定食にしました。
そういえば、妻のサラダについてきた、ビネガー。
ちょっと衝撃的ですが、中に虫が浮いていました。
他の国で、食べ物に虫が浮いていたら、恐らくぎょっとして
すぐに別のビネガーを持って来てもらっていただろう妻。
でもなぜかその時、それすらもスペインぽくって、
許せちゃったのですよね・・・。
結構、ハエも飛んでましたし、
何だか、過去にもそういうことがあった気がするし・・・。
なぜか、その虫が浮いたビネガーを使い続けることに、
すっかり抵抗がなくなっていた妻でした。
懐かしい思い出とともに、ますますスペインびいきになる妻。
明日からの旅も、楽しみです。
(夫記) サンチャゴ・デ・コンポステーラと聖ヤコブ
「サンチャゴ・デ・コンポステーラ」と言えば、キリスト教徒にとっては三大聖地の一つですが(あとの二つは言わずと知れたエルサレムとローマ)、クリスチャンではない日本人からすると、やや「知る人ぞ知る」感のある都市で、スペインの北西部にあります。
サンチャゴとは、スペイン語で聖ヤコブのこと。英米仏に多い名前ジャックは、この聖ヤコブ(ジェイコブ)に由来するようです。
聖ヤコブは12使徒の1人で、スペインで布教していましたが、エルサレムで殉教し、その遺骸が流れ着いたとされるのがスペインのガリシアの海岸です。その後、遺骸は行方不明となり長い年月を経て、9世紀、星の光に導かれた羊飼いによって、聖ヤコブの墓が発見され、その地に教会が建てられた。それが現在のサンティアゴ・デ・コンポステーラなのだそうです。コンポステーラはカンポ(野原)、ステーラ(星の)の意味で、パウロ・コエリーリョの「星の巡礼」のタイトルはここから来ています。
当時、エルサレムはイスラム教徒とキリスト教徒の争奪の場となっていて、戦争が絶えず、キリスト教徒がエルサレムに巡礼することが難しくなっていました。そこで、エルサレムに代わる巡礼の聖地としてクローズアップされたのが、聖ヤコブの遺骸があるとされるこの地、サンチャゴ・デ・コンポステーラでした。
時はレコンキスタの真っ盛り。聖ヤコブは、イスラム教徒と戦うスペインの騎士たちを守護する聖人としての役割を担いました。
844年のクラビホの戦いでは、白馬に乗った聖ヤコブが現れてモーロ人(ムーア人 イスラム教徒のこと)を蹴散らした、という伝説が生まれ、聖ヤコブは、またの名をサンチャゴ・マタモロス(モーロ人殺しの聖ヤコブ)と呼ばれるようになります。
キリスト世界きっての武闘派、闘う聖人の誕生です。
聖ヤコブは、もともとガリラヤ湖畔の漁師ですから、本人が聞いたらびっくりの転身ですが、イスラム教徒に席巻されほぼ占領されかけていたイベリア半島を、キリスト教徒が奪い返すためには、それだけ強い象徴、守護聖人が必要だったのでしょう。
<第9日目: 8/5(土)> パンプローナ ~ ログローニョ ~ ブルゴス
今日は、パンプローナからブルゴスへ。
途中、ログローニョへ寄ります。
まずは、パンプローナのホテルの1Fにあるカフェでお茶をしました。
私たちが宿泊するホテルの多くは、部屋にポットセットがないので、
朝一のカフェ行きはかかせません。
荷物を車に入れて、チェックアウトしてから、
ゆったりとカフェに入り、今日の旅程を確認する・・・。
これが結構、贅沢な時間となりました。
目が覚めてテンションが上がって来たところで、ドライブへ。
訪れたのは、ログローニョ(Logrono)。
歴史的な巡礼地であり、美食の都、リオハワインの産地とのこと。
ここでブランチを取ることにしました。
街を散策しながら、良いレストランを探します。
街のランドマークとして、目につくのは、
15世紀に建設されて、18世紀まで増改築が行われたバロック様式の教会、
「サンタマリア・デ・ラ・レドンダ大聖堂」。
その周辺にある小道は、たくさんのバルで賑わっています。
ピンチョスやタパスが並ぶ華やかでお洒落なバルを横目に、
手ごろなランチセットを提供しているレストランを見つけて入ります。
中に入ると、やはりスペイン人たちの賑やかなおしゃべりの声が・・・。
絶対地声が大きい。
複数が同時に話す。
下手したら男性の方がおしゃべり。
でもそんな喧騒も、スペインらしくて好きな妻でした。
注文したセットメニューはデザートまで付いていて、
結構おいしかったです。
そして、いよいよ今日の宿泊地、ブルゴス(Burgos)へ。
中世の城下町であり、レコンキスタの英雄「エル・シッド」の出身地です。
まずはホテルへチェックイン。
街の中心地から車で5分ほどの閑静なところにあります。
ホテルというより、プチホテルというか宿というか、
とにかくこじんまりとしているけれど、
石の壁に、貝殻風のライトがついているなど、凝った内装です。
よく見ると、フロント脇のショーウインドウに、日本のこけしが・・・。
ちょうどそこへ日本人の女性が現れました。
聞けば、そのホテルの長男の奥さんだそうで、
普段はスペイン人の旦那さん(長男)とドイツに住んでいて、
たまたま休暇中とのこと、家族で帰省していたそうです。
思いがけないところで日本人女性に出会えて、うれしかったです。
早速、部屋に荷物を置いて、街の観光へ出かけます。
お目当ては、もちろんカテドラル(大聖堂)。
このブルゴスの大聖堂は、スペイン3大ゴシック大聖堂のひとつ。
(他のふたつは、セビーリャの大聖堂とトレドの大聖堂)
13世紀に着工して、16世紀に完成しました。
エル・シッドの墓もあります。
大聖堂の前で、ちょうど結婚式のお祝いをやっていました。
伝統的な衣装を着た踊り子たちが、ダンスを踊っています。
中から新郎新婦やその招待客たちが出てきます。
とても華やかな結婚式でした。
そして大聖堂の中へ。
大理石と金・銀の装飾、色とりどりのステンドグラスの美しさに
目を奪われます。
荘厳なゴシック様式の大聖堂でした。
その後、街を散策しながら夕食のレストラン探し。
日中は結構暖かかったのですが、真夏といはいえ、
夜は妙に寒くなって来たので、焦って探します。
いくつかの広場や通りをぐるぐるして、
一番お洒落に見えたレストランに入ることにしました。
中は暖色系のライティング。
木のぬくもりも温かく、冷えた身体が少しずつ生気を取り戻します。
妻は、本日2度目のミックスサラダ。
こうなったら、飽きるまでミックスサラダ、食べつくしてやる・・・。
でも、まだまだ飽きる気配がない妻でした。
夫は、寒いので「ソパ・デ・アホ Sopa de Ajo」(にんにくスープ)と、
「カリョス Callos」(牛の胃袋の煮込み料理)を。
どちらもスープ系になってしまいましたが、身体が温まって、美味しかったです。
駐車場まで戻る際に、夜のエル・シドの像を撮影。
暗闇に浮かび上がって、より一層迫力がありました。
それにしても寒い・・・。
8月でこの寒さ・・・夜現在、13度くらいと聞きました。
20度前後対応の服装でフラフラしてたので、たまりませんでした。
夏のヨーロッパの夜は、侮れません・・・ 。
(夫記)
エルシドと聞いて、チャールトン・ヘストン主演の映画を思い出すのは、特定の世代、それも男性に限られるのではないでしょうか。1961年制作の映画なので、私も映画館で見たわけではなく、テレビやビデオで見たものなのですが。この映画で、騎士が馬上ですれ違いざま相手を槍で突き、落馬した方が負け、という馬上槍試合のシーンは、とても印象深く、私の中でのいわゆる騎士物語の原型イメージの一つとなっています。
中世の騎士のイメージはというと、強くて勇敢、誇り高く、情熱的で礼儀正しく、女性に優しい。知的でもあり、詩や音楽を愛する。と言ったところでしょうか。中世騎士物語の代表格としてよく出てくるのはアーサー王と円卓の騎士たちの物語です。
ただアーサー王が活躍したとされるのは(あくまでも伝説ですが)、6世紀のブリテン(イギリス)です。6世紀のブリテンは、お世辞にもそんな華やかな中世的な騎士道が育つような土壌ではありません。
上述のような中世騎士のイメージを提供したのは、イスラムとの絶えざる戦火の中にあったレコンキスタの時代のスペインの騎士たちではなかったか。彼らは、敵であるイスラムとの接触によって洗練され(当時は文化的にもイスラムは先進国でした)ていきました。
スペインの騎士たちは、ヨーロッパのキリスト世界の前衛として、常にイスラムとの戦いの最前線にいました。それゆえ誇り高く、ヨーロッパの国々の宮廷では、肩で風を切って歩いていたのではないか。そんなスペインの騎士たちの風俗から、中世の騎士のイメージ、ひいては騎士道というものが出来上がっていったのではないか。そう考えると、現代にも残るレディ・ファーストの淵源は、実はスペインにあるのでは?と考えたりしました。