<第8日目: 8/4(金)> サン・ジャン・ピエ・ド・ポール ~ ロンセスバージェス ~ パンプローナ
珍しく朝6時頃、目が覚めました。
ベッド横の小窓から外を眺めると、まだ薄暗く、霧が立ち込めていました。
けれど、通りからは人の話し声と笑い声が・・・。
早くも、巡礼者たちが出発したのかもしれません。
そのまま起きればよいのですが、朝の弱い妻はまた寝てしまいました。
結局いつも通り、10時チェックアウトに合わせての出発です。
今日は、フランスに別れを告げて、いよいよピレネー山脈越え。
スペイン巡礼路を辿ります。
その前に、フランス最後のカフェタイム・・・。
サン・ジャン・ピエ・ド・ポールを出発すると、
そのまま国道を走り、どんどん山道へ。
林を抜けると青空が広がり、次第に標高が上がっていきます。
車に弱い妻は、少し酔って来ました。
だんだん口数が少なくなり、吐き気も・・・。
ちょっとマズいかもしれない・・・ってところで、
ピレネー山頂の「イバニェタ峠」に到着。
ひと息つくことにしました。
巡礼者のピレネー越えのふたつのルートの内、
ひとつのルートがこの「イバニェタ峠」を通過します。
よく見ると、「カミーノさん」(巡礼者さんたち)用に、
巡礼路の進行方向を示した黄色い矢印が・・・。
確かに、重いリュックを背負ったホタテマークのカミーノさんたち数名が、
もくもくと歩いて、前を通り過ぎて行きます。
私たちも一瞬だけ、カミーノさんたちの通る道を歩いてみました。
ピレネー山脈を歩いて越えるカミーノさんたちには、頭が下がります。
気分がよくなったところで、
またゆっくり車を走らせ、先に進みます。
地図を確認すると、ここはもうスペイン領でした。
少し走ると「ロンセスバージェス」(Roncesvalles)が見えてきました。
村の中心の大きな修道院は、古くから巡礼者の救護院だったそう。
現在は、巡礼者用の宿泊施設「アルベルゲ」としても使われているそう。
せっかくなので、修道院内の聖堂の見学をしました。
そろそろお腹が空いて来ましたが、
ここは修道院とその付属施設がメインの村なので、適度なレストランがなく、
そのまま国道を走り、サービスエリアで昼食を取ることにしました。
ほどなくして、サービスエリアを見つけたので入ります。
通りの表示やお店の看板が、スペイン語になったことに感動。
ちょっと「ホームに戻って来た感」が出てきて、
水を得た魚のように、自信が出て来た妻。
心もち、態度がデカくなって来ましたよ。
とりあえず無難な軽食が食べれそうな食堂を見つけて入ります。
カウンターにはベネロペ・クルスのような、これぞラテン美人のお姉さんが・・・。
低めの大きな声で、お客さんに話しかけます。
お客さんも負けじと大声で応戦していて、
いきなりデシベル、上がった世界に迷い込んで来ました。
ああ、これぞスペイン・・・。
老若男女、誰でも地声がデカいスペイン。
ヒソヒソ話すことを知らないスペイン。
おしゃべりが大好きなスペイン。
懐かしい・・・。
メニューを見ても、料理名が分かるのがうれしい妻。
早速、トルティージャ(スペイン風オムレツ)と、
大好きなサラダを注文しました。
この旅で何回目のサラダでしょうか・・・。
フランスでは、ある程度きちんとしたレストランで、
高めのサラダを注文してきたせいか、
いつも見た目も色とりどり、数種類の野菜が美しく盛られていました。
でも、ここはスペインのサービスエリア。
安いだけあって、そんなサラダは出てきません。
思った通りの「レタス+トマト+ツナ」オンリーのミックスサラダ。
ドレッシングもなくて、「勝手にオリーブとビネガー、かけてね」的な
セット一式も置かれます。
正直、日本の自宅でも簡単に作れるやつですが、でも、これが最高においしい。
留学中、やっぱりサラダばっかり食べていた妻は、
懐かしさが相まって、おいしさ倍増です。
ちょっとテンション高めな妻の横で、特にスペインに思い入れのない夫。
いつもと変わらないテンションで、ニコニコしながら、
トルティージャを食べていました。
すっかり元気が出てきてご機嫌になったところで、
いよいよ今日の宿泊地、パンプローナ(Pamplpna)へ向かいます。
「牛追い祭り」で有名な街。
毎年7月上旬は、多くの観光客でいっぱいになります。
街は多くの人々で賑わっていました。
まずは、18世紀に建てられたバロック様式の市庁舎を見学。
この市庁舎は街のシンボルであり、牛追い祭りの開会宣言は、
このバルコニーに立った市長が行います。
そして、ロマネスク様式とゴシック様式が融合した「カテドラル」の見学。
ナバーラ王カルロス3世と、その王妃の墓もあります。
少し早いですが、夕食のレストランを探します。
サン・セバスティアンで、いかにも・・・な、古き良きバルを探せなかったので、
ここで何とか見つけようとしました。
けれど残念ながら、思った通りの店は見つけられず、
お洒落なレストランばかりが目につきます。
諦めて、軽食とお酒がメインのダイニングへ。
妻は結局、ここでもサラダ。
夫は、コロッケと鶏肉のグリル定食にしました。
そういえば、妻のサラダについてきた、ビネガー。
ちょっと衝撃的ですが、中に虫が浮いていました。
他の国で、食べ物に虫が浮いていたら、恐らくぎょっとして
すぐに別のビネガーを持って来てもらっていただろう妻。
でもなぜかその時、それすらもスペインぽくって、
許せちゃったのですよね・・・。
結構、ハエも飛んでましたし、
何だか、過去にもそういうことがあった気がするし・・・。
なぜか、その虫が浮いたビネガーを使い続けることに、
すっかり抵抗がなくなっていた妻でした。
懐かしい思い出とともに、ますますスペインびいきになる妻。
明日からの旅も、楽しみです。
(夫記) サンチャゴ・デ・コンポステーラと聖ヤコブ
「サンチャゴ・デ・コンポステーラ」と言えば、キリスト教徒にとっては三大聖地の一つですが(あとの二つは言わずと知れたエルサレムとローマ)、クリスチャンではない日本人からすると、やや「知る人ぞ知る」感のある都市で、スペインの北西部にあります。
サンチャゴとは、スペイン語で聖ヤコブのこと。英米仏に多い名前ジャックは、この聖ヤコブ(ジェイコブ)に由来するようです。
聖ヤコブは12使徒の1人で、スペインで布教していましたが、エルサレムで殉教し、その遺骸が流れ着いたとされるのがスペインのガリシアの海岸です。その後、遺骸は行方不明となり長い年月を経て、9世紀、星の光に導かれた羊飼いによって、聖ヤコブの墓が発見され、その地に教会が建てられた。それが現在のサンティアゴ・デ・コンポステーラなのだそうです。コンポステーラはカンポ(野原)、ステーラ(星の)の意味で、パウロ・コエリーリョの「星の巡礼」のタイトルはここから来ています。
当時、エルサレムはイスラム教徒とキリスト教徒の争奪の場となっていて、戦争が絶えず、キリスト教徒がエルサレムに巡礼することが難しくなっていました。そこで、エルサレムに代わる巡礼の聖地としてクローズアップされたのが、聖ヤコブの遺骸があるとされるこの地、サンチャゴ・デ・コンポステーラでした。
時はレコンキスタの真っ盛り。聖ヤコブは、イスラム教徒と戦うスペインの騎士たちを守護する聖人としての役割を担いました。
844年のクラビホの戦いでは、白馬に乗った聖ヤコブが現れてモーロ人(ムーア人 イスラム教徒のこと)を蹴散らした、という伝説が生まれ、聖ヤコブは、またの名をサンチャゴ・マタモロス(モーロ人殺しの聖ヤコブ)と呼ばれるようになります。
キリスト世界きっての武闘派、闘う聖人の誕生です。
聖ヤコブは、もともとガリラヤ湖畔の漁師ですから、本人が聞いたらびっくりの転身ですが、イスラム教徒に席巻されほぼ占領されかけていたイベリア半島を、キリスト教徒が奪い返すためには、それだけ強い象徴、守護聖人が必要だったのでしょう。